あたりまえに注がれる光のように

2023.10.03

 夏休み園庭の樹木を剪定しました。砂場の横にあるサワグルミが園舎まで伸びていたので、かなり枝を刈り込みました。そこで気がついたことがあります。
 ゲッケイジュ(月桂樹・ローレル)が、デッキから降りる階段の両側に1本ずつ植えてあるのですが、同じ時期に植えた二本で育ち方が大きく違っていたのです。1本はサワグルミの枝で、少しずつ太陽の光がさえぎられていました。もう1本は、太陽の光がさえぎられず、樹木にしっかりと当たっていました。
 晴れた日はあたりまえのように注がれる太陽の光が、樹木の育ちに大きく影響していたのです。

 幼稚園での生活で、日々あたりまえに子どもたちに注がれることは何でしょうか。言い換えると、日々意識しないで子どもたちが感じていることはどのようなことでしょうか。それはどのようなことから感じるのでしょうか。
 幼稚園の雰囲気、保育者の醸し出す雰囲気や表情、まなざし、言葉、所作など。
 幼稚園が穏やかな雰囲気であるのか、慌ただしい雰囲気であるのか。あたたかな環境であるのか、殺伐とした環境であるのか。・・・・・。
 保育者が優しい柔らかな表情であるのか、厳しい表情であるのか。あたたかなまなざしであるのか、そうでないまなざしなのか。丁寧で語りかけるような言葉遣いなのか、乱暴で投げるような言葉遣いなのか。美しい所作なのか、否か。・・・・・。
 子どもたちは無意識のうちに、それらのことから様々なことを感じ、吸収していきます。子どもの育ちに大きく影響していきます。
 歩くこともあたりまえのことです。車社会、便利な社会になり、道を歩くことや階段を上り下りするという経験が少なくなってきています。このことも子どもの身体発達に大きく影響しています。

 知らないうちに少しずつ積み重なり、時が過ぎて、子どもの育ちが違っていることに気づかされます。子どもたちは「今」を生きています。あたりまえのこと、無意識のうちに子どもが感じることが、その時、その瞬間にあります。
 園庭のゲッケイジュを見て、「あたりまえに注がれていること」を強く意識しようと思いました。常にあたたかなまなざしを注いで、幼稚園が愛情を感じられる空間であり続けることを、あらためて感じた時でした。

アウトドア派園長・あかぎ としゆき